和田玉について  日本書紀と玉

Hotangyoku

楊貴妃と玄宗皇帝の強く哀しき愛の物語

■ 日本書紀に「玉」の美しさは克明に記録されています

「押木玉縵」こそが、

中国から伝来した和田玉の形を変えた精神世界を象徴する日本文化なのかもしれません

この「押木玉縵」を巡って、数々の争いがおきました

いつの間にか、五徳の持つ世界観は、

この時代の日本ですでに金持ちの財宝と化してしまったようです

押木玉縵にある玉の美しさが世界を狂わせました

■ 「安康天皇が、大草香皇子の妹の幡梭皇女(はたひのひめみこ)と結婚させたいと使いをだした

大草香皇子は天皇の申し入れを承諾し、家宝の「押木玉縵」を信契として天皇に奉った

ところが、根使主がこの「押木玉縵」の麗美さに感嘆し、自分の宝として着服してしまい、

さらに、大草香皇子が命を奉じないと偽りの報告をした

天皇は大いに怒って、大草香皇子の家を囲んで殺し、そして幡梭皇女を大泊瀬皇子と結婚させた

ここに現れる「押木玉縵」とは、慶州で出土した金冠と同じ種類の宝物であると言われている

「押木玉縵」は人々の目につくきわめて麗美なものであったことがうかがえる

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